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Channel: 挙句の果て
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花組公演『CASANOVA』を観ました③

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 こんばんは。カサノヴァ感想も第三弾となりました。DS発表などありましたが空気を読まず今夜もコンデュルメル夫人の話をします。だって!!!好きだから!!!!!

 

 カサノヴァには二人の女性メインキャラクターがいます。ヒロインであるベアトリーチェ、そしてアンチヒロインであるコンデュルメル夫人です。物語上、全く絡みのない二人ですがよくよく観察してみるとキャラクターとしての本質が深くリンクしているように見えてきました。
 まず、根本的には自分の想いに真っ直ぐな人間という点です。ベアトリーチェの愛しいほどパワフルな猪突猛進ぶりはいうまでもありませんが、一見ひねくれて見えるコンデュルメル夫人も夫への重い愛を原動力に行動しています。そして、何より彼女たちは特別好きなたった一人の相手と共に未来を歩んでいきたいという強い願いが共通している。
 そんな彼女達の夢の実現、それは「結婚」。ただし結婚は他者と共に作り上げる幸せの形です。前回のコンデュルメル夫妻の記事でも挙げましたがカサノヴァの登場人物、とりわけ権力側の人間は敬虔なキリスト教徒。一度婚姻契約を交わすと離婚できないため、結婚のチャンスは一度きり。たとえ相手と合わなくなっても別れることはできません。
 結婚生活に希望を見出せなくなったとしても他に拠り所があれば別にいいんです。例えば、仕事とか。ですが、あの時代、あの階級の女性が男性のように社会的自己実現で承認欲求を満たすのは難しい。性格的に他に恋人を作って気を紛らわすのも向いてない。身分、環境、その他さまざまな抑圧がある中で個人的幸福を追い求めるのはさぞ苦しかろうと思います。一度行き詰まると逃げ道がない「不自由」な「女性」としての生き方が見えてくる。プログラムで述べられていた夫人の感情が現代女性にも共通するという言葉はそういうところにも繋がって見えました。
 つまりは結婚という「個人的自己実現」を人生の軸に置く女性として二人は対比することができる。結婚というゴールを迎えるために悩むベアトリーチェ、結婚というスタートを切ったもののその道に悩むコンデュルメル夫人。最終的にベアトリーチェはカサノヴァと別々の未来を、コンデュルメル夫人は夫と共にある未来へ進んでいく。希望はあるけど、少しビターで大人なヒロインですよね。

 

 この二人が似ていると考えるとベアトリーチェがコンデュルメル夫人よろしく貴族の生き方に染まり、その真っ直ぐさから心捻れていってしまう可能性も大いにあったわけです。では、何故ベアトリーチェはコンデュルメル夫人のようにならなかったのか。
 修道院から新しい生活を夢見て出てきたベアトリーチェ。天真爛漫を地で行く彼女でしたが次第に貴族という立場から自由を奪われていきます。周りから求められるよう振る舞うか悩んでいましたよね。自由には責任があると真剣に考えているから。そして、初めての恋の相手がカサノヴァ。彼を信じたいけど、信じられない。行動したいけど踏み出せない。悩みに悩むことで彼女の美徳である真っ直ぐさが翳っていく。
 そんなとき、ベアトリーチェを真っ直ぐに肯定してくれる存在がいました。女官として仕える身ではありますが共に冒険を愉しみ、気持ちを共有してくれる対等に近い相手。ダニエラです。誰よりもベアトリーチェの味方である彼女はこう言います。「自分の心を殺さなくていい」そんな嬉しい言葉、他にありますか?信頼できる他者から肯定されることでベアトリーチェは自分らしく生きる道を踏み出すことができた。

 夫人の周りにはそんな存在がいなかった。6人の僕たちは彼女の孤独の慰めとなりはするけれど、対等な存在ではない。 何より夫人の僕には日曜日が欠けていますよね。わたしはこれを休息日の欠落だと考えていました。彼女には安らげる場所がない。一方でベアトリーチェも寝室のシーンで6人の女官を携えている。しかし、彼女には7人目の特別な女官がいた。時に叱り、寄り添い、励ましてくれる存在。ダニエラはベアトリーチェの休息日なのではないでしょうか。彼女との出会いがベアトリーチェにコンデュルメル夫人と同じ道を辿らせなかった。ダニエラこそが運命の分岐点だった。

 わたしはコンデュルメル夫人がすごく愛しくなっているので彼女にもダニエラのような存在がいてくれたらよかったのにと心から思います。夫人は外面的には成熟した妖艶な女性だけど、その脆い内面は孤独で不器用な少女のように見える。もがき苦しむ様がリアルで胸が痛い。自分ではどうしようもない苦難に直面したとき、人は救いを求めるものです。神へ祈る者、酒に溺れる者、夫人は黒魔術を選んだ。誰かそんな不器用な彼女を抱き締めてあげてほしいとすら思ってしまう。女性とかそういう目で見るのではなくて、一人の人間として対等に向き合ってくれる存在がいてくれたなら。今までずっと苦しかったね、もう意地を張らなくていいんだよって言ってあげてほしい。夫に素直に好きって言えばいいじゃんって背中を押してくれる誰かがいてほしい。そういう夢をダニエラに見てしまいます。

 ダニエラのような存在は現実世界でも非常に稀有です。寄り添いが自然すぎて普段は意識しないけれど、とてつもなく有難い存在。いつでもそっと支えてくれる。この人がいてくれてよかった。辛いことがあってもこの人がいてくれるからまた頑張ろうと思える。前を向くことができる。一歩踏み出せる。この人に恥ずかしくないように自分も頑張りたい。同志であり友であり目標でもある。
 そんなダニエラは桜咲彩花さんという偉大な娘役への当て書きであり、最大の賛辞なのではないでしょうか。短期間しか宝塚を観ていないわたしですら、べーちゃんってそんな存在だったように思えてしまう。いつでもそっと寄り添ってくれるうつくしいひと。彼女に対する心からの愛情と感謝を感じました。


 わたし、ヴェネツィアの街に着いたベアトリーチェとダニエラが銀橋を渡っていく場面を観るといつも泣いてしまうんです。二人の瞳があまりにきらきら輝いていて希望に胸膨らませているのが分かる。今、この人たちの目には本当にヴェネツィアが見えているんだって思わされるから。そこに愛しい愛しいゆきちゃんとべーちゃんの旅立ちが重なる。この人たちに出会えて良かった。愛に満ちた門出となりますように。そう願いながら感想を終えようと思います。

 ご拝読ありがとうございました。では、また次回。


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